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1957 年 7 月 2 日 - 2003 年 10 月 9 日

 

『俺』/ 原文のまま(句点のみ加筆)

 

なぜ歌を歌うのか書いてくれと言われた。でも、なぜ歌うのかと言われても僕はとても困ってしまう。お金のためでも ないし、有名になるためでもない。ましてや俺達の時代を創るために歌ってるんだみたいなそんなかっこいいことはと ても言えない。 じゃあ、なぜ歌うんだろうか......考えれば考えるほどわからなくなってくる。むしろそんな事は考えないほうがいいの かもしれない。なぜなら「君はなぜ息をしているんだ?」と言われたら「生きているからです。」としか僕は答えられ ない。それと同じように「なぜ歌うのか」と言われたら「歌いたいからです。」としか答えようがない。 じゃぁ、なぜ歌いたくなったんだろう......どんな人でも小さい頃からあらゆる方法で歌は聞かされていたと思う。僕も 小さい頃から歌が好きで流行歌なんか物心ついた頃から歌手の真似をしていつかは僕もテレビで歌っている歌手みたい になるんだと思い歌っていた。 でも、ぼくが聞かされていた歌は流行歌だけじゃなかった。子守唄、酔っ払った父親が歌う鼻歌、チャングを叩いて歌 う朝鮮のうたなんかも物心ついた頃から聞かされていた。 でも、このすべての歌を僕が受け入れていたかというと、チャングを叩いて歌う朝鮮の歌は受け入れていなかったし、 聞くのも嫌だった。
何故かというと、僕は日本の幼稚園に行き、小学 2 年生まで日本の小学校に行った。その時友達に「チョウセンやろ」 と言われたらいつも「そんなんちゃうわい」と言ってケンカした。 僕は朝鮮人であることは知らず知らずのうちに恥ずかしいことであると思っていたしみんなの前で「僕は朝鮮人です。」 と言う勇気もなかった。
小学 3 年生から僕は朝鮮の学校に行くようになった。今までは教室では朝鮮人は数えるほどしかいなかったし朝鮮人 だと名乗っている人は一人もいなかった。でも、朝鮮の学校では生徒はみんな同じ朝鮮人だし、それまでは朝鮮語を聞 くたびに嫌な思いをしていたのに、みんなが朝鮮語を使っていたので僕も必然的に覚えて使わなくならなくなってきた し、授業で朝鮮の歴史や言葉を教えてもらっているうちに朝鮮人であることを否定できなくなってきた。 でも、日本の学校に行っていた時の友達に道で会うと、いつも逃げていた。やがて中学に行くように今度は日本人に対 してものすごく反発を感じるようになってきた。そして、暴力に走ったこともある。 そんな時、ふと、岡林信康の歌を聞いた。 それから僕はものすごく歌を歌いたくなってきて、もらったギターで毎日、岡林の歌を歌っていた。でも、そのときは まだ初めて会った人には「僕は朝鮮人です」と言えなかった。 そんな時、ラジオから沖縄のフォークシンガー達の歌を聞いた。ものすごく強烈だった。沖縄の方言で沖縄のことや自 分の歌を歌っていた。その時の僕は初めて、返還されて平和な沖縄じゃなくて、本当の沖縄を知ることが出来て沖縄に も行って来た。 僕は沖縄のフォークシンガー達の歌を聞く前から歌は作り出してはいたけれど、かっこよく作ろうとばかり考えていて 本音の歌は少なかった。でも、沖縄の人たちの歌を聴いている内に彼らは自分の故郷と沖縄を歌うのに何故僕は祖国や 朝鮮人であることを歌えないのだろうかと思うようになってきた。そしていろんな人と出会う中で僕は朝鮮人であるこ とを歌うようになっていた。 歌っていく中でいろんな反響があったが日本人にはやはり反発されることが多い。一番多いのが「なぜ、朝鮮人である ことにこだわるのか」「朝鮮人だけが苦労しているんじゃない。日本人も苦労している」という反発が多い。でも僕は あらかじめ朝鮮人であることを考えて作った歌はほとんどない。ただ、自分で見たものや聞いたもの、自分と会った人 のことや自分のまわりの事を歌っているだけでその結果として歌が出来て、そこにこだわらなくてはいけない現実があ るし、またなぜ朝鮮人のことを歌ってはいけないのだろう......。 僕の歌に反発する人でもブルースはいいと言って聴く人がいる。なぜなら、黒人が差別されながらも歌う歌だからだと 言う。それじゃ何故、朝鮮人が歌えばいけないのだろうか。 またボブデュランがアメリカを歌えばすばらしい歌だと言う。でも僕が朝鮮人であることを歌うといけないという。そ れこそまさに、日本人のアメリカ人に対するコンプレックスであり朝鮮人に対する優越感だと思う。 いろいろとやかく言われると歌うのをやめたいと思うこともある。でもそんな時、自分のことや周りを見わたすとまた、 たまらなく歌いたくなる。できたら明日の事なんか歌いたくない。今感じられる事だけを歌いたいし日本語でしか歌え ないけど、できたら朝鮮語でも歌えるようになりたい。そして、日本人になろうと考えている朝鮮人や日本も朝鮮も関 係ない言っている日本人の前で歌いたい。 歌うことは自分の言いたいことを相手にわかってもらえるように努力することだと思う。 

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